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40年の想い出40Th memory


八重山支部あるあるを新旧おりまぜご紹介

■困った時の晃パチンコ杯

立ち上げ初期~80年代前半の頃、地元企業の協力を得て頻繁に大会を開いていた。〇〇商事杯とか、〇〇屋杯、というように企業名を冠した大会である。しかし、大会のたびに新たな協賛先が見つかるわけでもなく、「大会は開きたいがスポンサーがみつからない」ということもある。
そういう時には最後の切り札?「晃パチンコ杯」の出番だ。
創設メンバーでもある勝連氏(晃パチンコ店社長)にお願いし、たびたび大会スポンサーになってもらった。

■パンク修理ができて一人前?

80年代後半の登野城自転車店将棋道場。会費ナシ、ある意味24時間利用フリー、という自由な環境もあって、大人だけでなく中・高校生も多く出入りし賑わった。しかし学生にはある役割もあった。それは自転車店の作業を手伝うこと。
当時通っていた学生は自転車組み立てを手伝うことも多く、中でもスポットで入るパンク修理は必須スキルであった。店主が外出の時は店番をしながら、パンク修理客が来たら即対応、それができなければ一人前とは言えなかった。

■初段の壁

八重山支部には個性豊かな会員が揃っているが、中でもY氏は突出している。
*将棋体力が凄い!
 氏が若いころは夜通し徹夜で指すなど日常茶飯事、丸二日同じ相手と指し続けることも。対戦相手は変われどY氏は
 不動である、これまで一番多くの人と徹夜で指したであろう。これには誰もかなわない。
*将棋スタイルが独特
 若いころの棋力は初~二段くらいだったが、当時から独特の感覚。普通の戦法を指しているつもりのようだがどんな
 戦法を指してもオリジナル色が出てしまう。駒落ち上手でもオリジナル。これに級位者たちは歯が立たない。
 現在に至るまで、級位者にとって初段の壁として立ちはだかるY氏。逆に言えばY氏に勝ち越すようになれば入段と
 いうことに。
 下には滅法強いY氏である。

■激辛?激甘?

立ち上げ当初、三段が最高位であった。基準がなく三段が一人しかいなかったのでそうなる。
数年後その最強の小浜三段に学生たちが勝ち越すようになるが、小僧の分際?で三段は名乗れない。なので二段となる。
そんな時に高校生の石垣二段が県大会で優勝し四段を貰ってしまった。本島の方から「二段ってのは辛すぎるでしょう」と言われたこともあったが、「こっちの島じゃ三段が最高位なんだから仕方ないでしょ」としか言えない。
そんなこともあり、その後三段、四段の認定者を出していくことに。。しかし一時期実績・功績を考慮しての昇段などで審査が甘くなり五段や四段認定が増えてしまった。
まあ段位は各地域や道場でも違うのでそれでもいいのだが、あまり実力とかけ離れた段位はいかがなものか?ということで数年前に見直しを行い、今はほぼ適正な認定になっていると思われる。そのため降段された方も数名出た。今のところ苦情はきてないが内心は面白くないのかも(降段したことに本人が気付いていないだけかもしれないが)。

■○坊オジー、ちゃん兄さん

この島では子供のころの呼び名が大人になっても変わらない人が多いようだ。子供の頃、坊やという意味で名前の頭文字をとって「○坊」(例:まさお→まさ坊、けんじ→けん坊)と呼ばれた子が、大人になっても呼ばれる。坊の他にはちゃん付けで呼ぶのも多いか。しかしさすがにいい大人に○坊と呼ぶのもおかしい。そこで○坊の後にオジーとかニイニイ、とか付けるのだ。
八重山支部の仲間にも何名かそう呼ばれている大先輩がいる。
大人同士の会話では普段は○○さんと呼ぶことが多いが、酒席やフランクな会話のときなどは「○坊オジー」となってしまう。「まさぼーおじー、かっちゃん兄さん・・・」、知らない人が聞いたらおかしな呼称に聞こえるだろうが、長年の慣習は変えられない。。

■将棋ジプシー

年表でも書いてあるように、将棋道場が出来ては閉鎖を繰り返してきた40年でもあった。将棋道場を維持しつづけるのは難しい、これは全国共通の悩みでもあろう。
道場がない時代、当会のメンバーはそれぞれが指せる場所を求めて島中を彷徨い歩いた(大げさ)
将棋好きのマスターの飲食店へ、将棋好き店主のいる店舗事務所で、銀玉遊戯場の休憩コーナーへ、はたまた縁台将棋で・・・指せる場所をみつけては一時定住する、ジプシーのように。。
そうやって時には細々ながらも、40年続けてきて現在に至る。今は幸い”ばしらいん”があり、平穏な時代である。
対局場所があって、対局仲間がいることに感謝。

■詰んだら投了よ~♪

将棋は負けた方が「負けました」とか「まいりました」と敗北宣言をしなきゃいけないゲームなわけだが、昔は全国的にもそれほど明確なマナーとして周知されていなかったように思うが。。
さて投了の仕方にも個性がでる、当支部の会員も様々。ある人は「うん、うむ」と言って駒を初期配置に並べ直す(なぜか二回戦が自動的に始まる)。「あちゃー、まいったあ~」と毎回くやしそうに言う人や、「あそこでこうしてれば・・・」と終局前から感想戦を始める人、様々である。もちろん普通に「負けました」という人もいる。
負けは悔しい、そこで歌にして敗北宣言をした方も。
有名な八重山民謡「安里屋ユンタ」の一説に乗せ、”またはーりぬ、つんだらかぬしゃまよ~”を、”詰んだら投了よ~”♪と歌いながら盤上に駒を投じる。。。八重山の人にしか分からないか?(笑)
まあ何にせよ、将棋は負けると悔しいですよね(^_^;)

日本将棋連盟八重山支部